大河ドラマ 麒麟がくる

  • 2020年1月19日
  • 2020年1月19日
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沢尻エリカで皮肉にも大変に盛り上がりました「麒麟がくる」なんと、日本ではあまり人気の無い、明智光秀が主役というではありませんか。ただ、歴史上のヒール役とされている人物も本当に、悪いやつなんでしょうか。特に明智光秀は悪いやつだったのかな〜と学生時代も思っていました。そんな訳で、「麒麟がくる」とっても気になっています。

長谷川博己先生格好良すぎでは無いでしょうか。NHK HPより

人の人生など、その人を見る角度を変えれば一変するのが常かと思います。そして、時代は戦国時代。さぁ明智光秀の人生を振り返ってみます。明智の出生序盤は、あまり知られていません。

明智光秀の生涯

生誕:1528年~1582年
戦国時代から安土桃山時代の武将
出生は諸説あり「明智軍記」では1528年、「当代記」では1516年
主君:(美濃国の守護)土岐氏→斎藤道三→朝倉義景→足利義昭→織田信長
特徴:内政手腕に優れ、領民を愛して善政を布いた。
   野心家、愛妻家、家来思い、学に通じ、和歌や茶の湯を好んだ文化人。
   また医学の知識も深かったとの記述あり。

主君もビックネーム揃いです。やはり野心家でなければ、外様の光秀が多くの主君に仕えつつ、歴史の教科書に掲載される様なビックネームにはなれなかったでしょう。実力を備えた人物であったことが伺えしれます。

野心家説

20歳位の頃、芥川で光秀は大黒天の像を拾った。それを見た家臣が「大黒を拾えば1,000人の頭になれるそうです」と述べて喜んだが、光秀は「ならばこれは必要ない」と捨ててしまった。驚いた家臣が尋ねると、「わしは1,000人の頭になることくらいで終わるつもりはない。もっと大きくなる」と述べて大志があることを示したという。

(山鹿素行『山鹿語類』)。

家来思いの一面

志賀郡で一向一揆と戦った時、明智軍の兵18人が戦死した。光秀は戦死者を弔うため、供養米を西教寺に寄進した。西教寺には光秀の寄進状が残されている。他にも、この戦で負傷した家臣への光秀の見舞いの書状が2通残されていて、家臣へのこのような心遣いは他の武将にはほとんど見られないものであった。

(小和田哲男『明智光秀 つくられた「謀反人」)

本能寺の変

日時:1582年5月 
徳川家康の饗応役であった光秀は任務を解かれ、秀吉の毛利征伐の支援の指示。 その途上の亀山城内か柴野付近の陣で、光秀は重臣達に信長討伐の意を告げる。 軍勢には「森蘭丸から使いがあり、信長が明智軍の陣容・軍装を検分したいとのことだ」として京都へ向かったという「本城惣右衛門覚書」によれば、雑兵は信長討伐という目的を最後まで知らされておらず、本城も信長の命令で徳川家康を討つのだと思っていた。光秀軍は信長が宿泊していた京都の本能寺を急襲して包囲した。光秀軍13,000人に対し、近習の100人足らずに守られていた信長は奮戦したが、やがて寺に火を放ち自害したとされている。信長の死体は発見されなかった。
その後帰ってくるはずが無かった、秀吉の中国大返しにより、山崎の戦い。
秀吉軍(40,000~30,000)VS光秀軍(13,000)となり為す術も無く、敗北。
落ち延びた山の中で落ち武者狩りにあい、没。

光秀の短い治世はわずか13日。「三日天下」とも呼ばれています。

最後は非常に残念な最後を迎えてしまいましたが、どんな思いで、本能寺の変を起こすに至ったのか。これは諸説あり、正確なところは分かっていません。

・怨恨説
・野望説
・恐怖心説
・理想相違説
・将軍指令説 / 室町幕府再興説
・朝廷説
・四国説
・イエズス会説

という様に、本能寺の変の要因を検討している諸説だけでもこれだけの数があります。実際のところ、史実は分かりませんが個人的には、「理想相違説」だと良いなと感じています。

・理想相違説 
信長を伝統的な権威や秩序を否定し、犠牲もいとわない手法(一向宗勢力、伊賀の虐殺等)で天下の統一事業を目指したと歴史解釈した上で、光秀は衰えた室町幕府を再興し、混乱や犠牲を避けながら安定した世の中に戻そうとした、と考えたところから発生した説。 この説は、光秀は信長の命とともにその将来構想(独裁者の暴走)をも永遠に断ち切ったと主張する。そして光秀も自らの手でその理想を実現することは叶わなかったが、後の江戸幕府による封建秩序に貫かれた安定した社会は270年の長きにわたって続き、光秀が室町幕府再興を通じて思い描いた理想は、江戸幕府によって実現されたと主張する。

脚本家の池端俊策さんは、どの様に明智光秀を描くのか、最後どの様な気持ちで、本能寺の変を決断するのか非常に実物です。この池端さん大河ドラマにも数多く携わっておられる方の様です。

脚本家:池端俊策
[プロフィール]
1946年、広島県生まれ。明治大学卒業後、竜の子プロダクションを経て、今村昌平監督の脚本助手となる。
映画『復讐するは我にあり』『楢山節考』などの脚本に携わる。脚本家として独立後、代表作に大河ドラマ「太平記」ほかに「イエスの方舟」「羽田浦地図」「聖徳太子」「夏目漱石の妻」など。2009年に紫綬褒章を受章。

さぁ今夜、20時から大河ドラマスタートです。好きな武将ランキングにランクインすることが無かった「明智光秀」。この大河ドラマで更に嫌われることになるのか、それとも違った見方をされることになるのか。

群雄割拠の時代。非常に楽しみです。

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