渋沢栄一について パート①

  • 2021年4月11日
  • 2021年4月11日
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どーも!キリギリスでございます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

私、最近毎週末にやっている大河ドラマ「青天を衝け」にハマりまくっております。

いや〜面白すぎて、止まらないです。ガチンコで面白いぞっ!

是非まだ始まったばかりですので、見てない方は見てみて下さい。

今回の主役、日本資本主義の父 渋沢栄一でございます。

渋沢栄一/Wikipediaより引用

これまで大河ドラマと言えば、戦国武将なんかが多く、血と肉が踊る演出に私もハラハラして楽しみにしていましたが、今回は、その様な感じでも無さそうです。渋沢栄一の経歴を振り返っていきたいと思います。

名前:渋沢栄一
生誕:1840年3月16日
死没:1931年11月11日
出生:埼玉県深谷市血洗島
職業:幕臣、官僚、実業家、教育者
功績:約500もの企業に関わった。資本主義の父と呼ばれている。

いやいや、1社でも大変なのに、500社〜600社に関わったと言われています。

しかも今も名だたる大手企業に成長しているのです。

おいおい

おいおい・・もはや人間業でも無さそうな感じです。

略歴を振り返ってみよう。

渋沢栄一は、天保11年に現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。

家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。

その後、尊王攘夷の気運バンバンに幼い頃から、不満を感じいていた高崎城を乗っ取って武器を手に入れた後横浜を襲撃すると言う物凄いクーデター作戦を計画。

大それた企画すぎるだろ。作戦成功率0%だろって感じですけど。

血気盛んな一面が垣間見れます。

計画したものの、尾高長七郎の反対であえなく中止となりました。

そして、栄一は幕府の追求を逃れる為に一度京都に飛びます。

危ないですね〜必死の幕府はこの様な反乱の芽は早く摘んでおきたいでしょうから、即刻牢獄などにぶち込まれていたことでしょう。

その後、行き詰まりを感じた栄一と喜作は、付き合いのあった平岡円四郎の推挙により、徳川最後の将軍である「徳川慶喜」に仕えるのです。ここで面白いのが、ただ困ったから士官させて下さいと言うのは残念だから、「二人の意見を建言した上で、お召抱えと言うことにしていただこう」と考えたのです。

確かに、最初が肝心ですけど、パワーが凄いぜ。

そしてあらかじめ準備していた意見書を平岡円四郎に渡しました。

しかし、それだけで終わらないのが栄一なのです。

「一度、慶喜公に拝謁をおおせつけられて、たとえ丁寧な御意がなくとも一言直接に申し上げた後にお召抱えを願いたい。」

えぇぇぇぇぇ。。。

何言ってんねん栄一。

徳川慶喜/Wikipediaより引用

まじで、農家のどこの馬の骨とも分からぬ物が時の権力者である徳川慶喜に会わせてくれよ!

ほんでもって、話したいことがあるんだって。。。

まじかよ。。。明日から入社予定の新入社員がまずは、三菱UFJ銀行の社長に会わせてくれよ!

って感じじゃ無いか?社長に話したいことあるねん。

って言ってる感じですよね。尖りすぎだろっ!

分かった!会わせてあげるよって言われる方が怖いんですけどーーーーー!

何話したら良いか分かんないし、めっちゃその時間怖いんですけどーーー!

どうですか、皆様同じ様に感じられる方多いと思うんですよね。

このあたりから、ただならぬ男である様に感じてしまいます。

気概のレベルが違うねん。

ハートの強さのレベルが全然違う。

農家から武士の資格をゲット

そんなこんなで慶喜公に仕官した栄一。

その後、慶喜公に惚れ込んで家政の改善に尽くし、次第に認められていくのです。

それだけの気骨があれば、認められるし、成功していくことでしょう。

更に更に、みなさまもご存知の通り、慶喜公が代15代将軍に就任致します。

幕臣に出世する栄一でございます。

栄一は、陸軍奉公支配調役と言う役職にもつきました。

そこで新撰組とも仕事をしたと言われています。

メキメキと結果を残す栄一。

すごいよな、与えられた仕事に対して結果で返していくため、次々と出世していくのです。

栄一パリへ行く。

パリ万国博覧会/Wikipediaより引用

その後、パリ万国博覧会の日本使節団の一員に選ばれます。

慶喜の異母弟である徳川昭武の随員として、フランスへ渡航し、パリ万博を視察。

また昭武とともに、ヨーロッパ各地を訪問し、先進的な産業や軍備などを目の当たりにして感動するのです。

ここで学んだ経験が、栄一の人生を大きく変えることになります。

パリから帰ると、ひっくり返っていた日本

帰国後、栄一が目にしたのは明治維新により変貌した日本の姿でした。

謹慎中の慶喜公に面会した栄一は、今後は己の決めた道を進む様に言われます。

そして、明治2年1月に静岡で商法会所を設立。

これが500分の1のスタートでございます。

いや〜やはり、偉業を成し遂げる人は、肝が座っている様な気がします。

ハートが強くないと、偉業を成し遂げることなどできないと思います。人間力でガツガツ己の道を切り開いていったのでしょう。前例の無い道を切り開くことができる人間が今の日本にどれぐらいいるんだろう。戦争を経験したあたりの日本人は本当に凄かったよな〜。

日本人は豊かになったことで、ハングリー精神が失われてしまったのかな。

私自身にもハングリー精神が足りていません。

大河ドラマ「晴天を衝け」を通して栄一の生き様を学んでいきたいと思います。

と言う訳でパート1はこの辺にしておきたいと思います。

また栄一の続きはまたパート2でお送りしたいと思います。ではまた!

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